すずのうた

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お茶椀を持って!と言い続けた母は、疲れました。

子供は、ご飯を食べるとき、お茶椀を持たずに食べる。

私は、それはそれは小さなときから、

「お茶椀を持つ」

って、何度も言ってきた。

今日も、「お茶椀を持つ」って言った。

 

どうして、お茶椀を持たないといけないの?

マナーだし、持った方が、ご飯を食べこぼさない気もする。

何よりも、日本人は、

お茶椀をもって食べている人を見て違和感を感じないけど、

おいたまま顔を近づけて食べている人をみたら、

しつけがなってないんだなと思だろう。

 

子供が、そんなくだらないことで、

駄目な人間だとレッテル貼られたくないし、

普通に出来るようにと思って言い続けているけれど、

いい年した私の子供は出来ない。

 

今日も出来ていないと思った瞬間、

私は、「自分を大切にしてないな」って思った。

小さな頃から言い続けたけれど、

「お茶椀を持つ」って言葉で言うだけで、

子供の心に響くように言っていなかった。

 

「お茶椀を持つ」っていいながら、イライラするのは

この言い方だったら、永遠に子供が持たないことを、

私は無意識に知っているのだ。

結果が伴わないやり方をし続ける自分に

イライラしてたのだった。

 

私は、自分を変えることのできる瞬間を

ずっと繰り返していた。

タイムリープしているように、何度も何度も、

「お茶碗を持つ」を言う私。

 

無駄な瞬間。

イライラしている自分を、許さないと。

 

こんな風にぱっと思ったのは、数秒の出来事。

私は「お茶椀を持つ」を

まず、自分で改めてしようと思いなおした。

「お茶椀を持つ」を丁寧に持ってみた。

 

丁寧にお茶椀をもった瞬間、目に飛び込んできたのは、

白いご飯と黄色いトウモロコシの粒が

キラキラ輝いている姿だった。

私は涙がでそうだった。

 

今日、私は、採れたトウモロコシを包丁で丁寧に削いで、

土鍋に米と一緒に入れて炊いたのだった。

夫が楽しみにしていたトウモロコシご飯。

私は、夫の喜ぶ顔がみたくて、

わざわざ玄米を白米に精米して、

炊いたのだった。

 

丁寧にお茶椀を持つと、

今日、私がそこに込めた思いを感じたのだった。

私は、結構すごい人だ。

こんなにお米もトウモロコシも輝いている。

私が輝かせてしまった。

 

子供に「お茶椀を持つ」って言うのをやめて、

それから、ひたすら、

「綺麗だね。ありがとね。」と心で声にして、

私はトウモロコシご飯を沢山食べたのだった。

 

私は、満たされた。

多分、こういう私がいなかったから、

子供は、お茶椀を持つ意味が分からなかったのだ。

私が、丁寧に、幸せに食べていたら、

きっと、後からついてくる。

 

今日は、私がすごい人だって分かった日。