すずのうた

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小学校の帰り道 一人で帰ること

小学校のころ、皆で一緒に帰りはするけれど、私ひとりだけが、住んでいる場所が皆と違いすぎて、とある場所までくると、「バイバイ」と言って私ひとりで、人通りの少ない道に入っていく。狭くもなく、広くもない道に、友達と別れて、私はいつもたった一人。家に帰りつくまで一人なのだ。

 

一人と聞くと、さみしかったのかしら?と思われるかもしれないが、私は全くそんなことはなくて、友達と別れてまずはほっとしていた。私の家は、ちょっと他の家族とは違っているらしく、おかげさまで皆と話を合わすことが大変で、自分が喋りたいように喋らず、皆が楽しそうに話しているのを「世の中には、そのような物やそんな考え方があるのか」と、いちいちカルチャーショックを受けていた。だから、家でもない、学校でもない、友達もいない、たった一人の時間をもてるこの道にいる時間が好きだった。この道は、静かだけど、木々もある。道のそばに建つ民家からは、時折、家事の音が聞こえてきて、一人だけで道を歩いている心細さはない。友達と別れて、ほっと息をつくと、私は、きゅっと顔をあげて、誰もいないけれど真っすぐに伸びている道に安堵の眼差しを向けるのだ。今日、学校であったことを少し回想していると、私の一番お気にいりの場所にくる。納屋と家の間に細い通路があり、その通路にはいつも不思議な色の光が注いでいた。ホコリに日光が当たって、キラキラ輝いているだけなのだけれど、当時の私にはそれ以上のものに感じられた。一筋の光が、そっと地面を照らしていて、照らされた地面には、シロツメ草があって、私は神様か妖精のような存在が照らされているように感じたのだった。通路に入っていくこともできたけれど、私は道からその一筋の光とその行く先を見つめて、ずっとたたずんでいた。学校も家も楽しいこともあれば、悲しいこともあって、どう生きていくことが自分らしいのだろう、まだ言葉にできない何かがもやもやしていた。そんな気持ちを持っていたのに、一筋の光をみていたら、楽しいとか悲しいとかいう感情とは別の静かで穏やかな気持ちが自分の中に生まれるのを感じた。静かで穏やかな気持ちの先に、ほっこり暖かい気持ちも生まれた。一筋の光は、平安をもたらした。一筋の光が照らした先にあったシロツメ草は、光を受け取り美しく輝いていたので、私は生きる喜びを得たのだと思う。

 

たった一人で歩くあの道が、私にどれだけの愛を与えてくれていたのだろう。立ち並ぶ民家も、大きく茂った木も、光も、音も、電信柱さえも、たった一人で歩く私には、気配を感じさせてくれた。一人じゃない私、いつだって一人ではないことを、無意識に理解し、体感していたのだ。ひとりになりたいは、ひとりじゃない自分を感じたいってことなのだ。今も、あの道を歩くと、私は小学生の頃に戻った気分になる。今も、一筋の光はあって、今も私に生きる喜びを与えてくれている。