すずのうた

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子育て 愛情を与えてるはずなのに埋められない心

子供が生まれて、保育園に預けてから、

ずっと働いてきた。

私の母は専業主婦で、家に帰ったら、

必ずそこに母がいた。

それとは違う環境を子供に与えている私。

 

色んな人が、子育てのことを、

あれやこれやと言う。

働いていても、帰ってからのその短い時間、

子供さんに愛情を与えてあげてくださいって。

それだけで十分ですよって。

 

愛情?

与えているよ。

でも、一緒に過ごす時間、

仕事のことや、顧客のこと全て忘れて、

ただ子供の目をまっすぐ見つめる時間が、もうちょっと欲しい。

 

子供に無理をさせているのは、嫌ってほど分かってる。

保育園に行かないと泣かれ、ご飯は食べない。

せまる通勤時間。

今、出発しないと、私は仕事場へ完全遅刻決定だ。

怒鳴っている私自身の方が、哀れで、涙が出る。

本当は、仕事に行くんじゃなくて、

子供が笑うまでぎゅっとして、子供といたい。

何で働いているんだ?

毎日、毎日、自問自答しながら、泣く子供を抱えて走る。

 

私の母は、こんなことしなかった。

家に帰ったら、話を聞いて、勉強を見てくれた。

でも、私は、ほとんど出来てない。

子供のころの私の幸福感と、私の子供の幸福感を比べてしまう。

そう思えば思うほど、涙が出てくる。

 

会社に行けば、そんなお母さんばかりで、

皆、仕方がないよと明るく笑ってる。

明るく笑ってるけれど、皆それぞれ悩んでる。

仕事しながら、休憩時間、お互いの子育て話をしながら、

はーっとため息ついて、

私もしっかりしなきゃ、今は私がお母さんだ

って、会社で切り替える。

 

残業しながら、ご飯ぎりぎり間に合うすれすれで帰って、

子供の顔をろくに見ずに、

台所で料理をしだす。

そんなに手の込んだものは作れないけれど、

せめて料理だけはちゃんと作ろうって、

愛情以外の何かもプラスで与えようって。

 

ご飯を皆で食べて、だからと言って、

毎日、感謝の言葉があるわけじゃない。

だって日常だもの。

疲れる日だってあるよ。黙る日だってあるよ。

嬉しい日もあるよ。笑う日もあるよ。

 

毎日繰り返す、後悔と少しの喜びの日々。

 

時間が出来た時に、子供と一緒にスーパーに行った。

手を繋いで歩いていたら、

子供が小さく呟いた。

「お母さん、大好きだよ」

 

ああ、ああ、ああ

そうだ、私が子供にもらってたんだ。

これだけ毎日疲れてて、それでも、働けていたのは

あなたがいたからだったね。

 

「お母さんも、あなたが大好きだよ」

 

うまく言えたかな。

よく分からない。

私の気持ちがいっぱいで、

ちゃんと言えているのか、よく分からない。

 

ただ本当に大好きで、愛していて、

あなたをちゃんと育てたくて、必死なんだ。

ちゃんと育てるが難しくて、

私はゆらゆらしているけれど、

子供は私のことが大好きで、すごくどっしりしている。

 

子育てに愛情が必要ですよって

本当にそうだった。

私から子どもへはもちろんだけど、

子どもから私への愛情を忘れてた。

与えたら、ちゃんと、与えられるって

どこかの神様がいっていたけれど、

愛はぐるぐるまわってる。

 

変わらないものを知って、

ちょっと心に余裕ができて、

子どもの目をまっすぐ見る時間がちょっと増える。

ちょっと増えただけでも、私の心の中は随分違うんだ。

もう少し、私はあなたを育てていたい。

ゆっくり、ゆっくり、大きくなって。

私も、ゆっくり、ゆっくり、成長するから。

 

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子供が服に無頓着です

先日、子供と一緒に服を買いに行きました。

私は小さな頃から服屋が苦手だったので、

子供には、楽しんで着てほしいなと思って育ててきました。

それゆえ、

子供のファッションに口を出すことは余りないのですが、

私の子供だからから、ファッションに無頓着です。

 

もう少し、良い恰好があるだろうと思うのですが、

無頓着です。

 

自分自身が親に言われて嫌だったことは言わず、

服に興味を持ってもらおうと育てたつもりなのですが、

無頓着です。

 

最近、YouTuberカジサックの家族を見ていると

お母さんがとてもファッションセンスに溢れていて、

お子さんが着ている服も、可愛いいし、

本人の良さが引き立つなと。

 

あれ?

私のファッションセンスがゼロレベルだから、

子供がこんなことになっているのか。

子供が無頓着ではなくて、私が無頓着なのかと。

 

私は綺麗でいたいけれど、だからといって、

どうしたら綺麗になるのかを、他の何かをおいて追い求めることはない。

他にやりたいことがあるしと思って、ファッションは最後です。

親がそんなだから、子供も自分の好きなことはするけれど、

服には全く無頓着になってしまったのでした。

 

社会人になって、服で苦労した私は、

子供にそんな苦労をさせたくないと、

自分の持てる限りのお洒落知識を授けようとしますが、

私の持ってるお洒落知識が低すぎて、

今の子供になっているのだと思います。

 

しかし、我が家の子供は、私の影響以外にも

無頓着の原因があるのです。

 

明日着ていく服と今日着ていく服の2種類あれば

子供は満足しています。

子供は小さなときから、こだわりがあり、

いつも着ている服でないと、落ち着かない傾向があります。

幼少期は、下着が小さくなって、おへそがでてるのに、

「これじゃなきゃ、ダメ」と、穴のあいた下着を着ていました。

あんまり執着するので、

幼稚園の先生や他の家族になんと思われてもいいやと

そのままにさせていたのは、懐かしい記憶です。

(ものすごく恥ずかしかったけど・・・)

あの頃に比べれば、小さくなった服を諦めることが

普通に出来ているので、

心が成長しているのだなと思います。

 

子供は、学校に行く際に、その2種類のローテーションでいきます。

友達にそのことについて何も言われていないようで、

本人はご機嫌で、同じ服を着ていきます。

本人が、幸せに着ていたら、服はそれで良いのかと

最近、人目よりも、本人の心地よさをとるようになりました。

見た目は大事だけれど、

子ども自身がそのことに気づかないと、

子供の服を変えられない。

その2種類の服は、そこまでひどい服ではなく、

子供自身が服屋で選んでコーディネートしているので、

自分自身で、自信をもって着ていけるのでしょう。

 

子供は、人の服へのチェックは厳しいので、

もしかすると、子供は無頓着ではなくて、

我が家の家計状況を気にして、

服が欲しいということをせず、

セーブしてくれているのかもしれません。

どちらにしろ、我が家は助かっています。

子供が、いつも、自分が好きな服を、

好きなように着られる家だったらいいなと思うのです。

それは、私が着る服にとやかく言われて育ったから。

子育てしながら、もう一度、

私は子供に戻っているのだなと思います。

かぐや姫の物語 とうとう見てしまった

高畑勲監督 かぐや姫の物語 を、

今見終えたばかりです。

 

この作品公開当時は元気に働いていた時で、

母に「すごくよかったよ。見るべき作品だよ。」

と言われていましたが、

日々の苦労で、長編アニメ作品を見る元気がなかったというのと、

鬼滅の刃を読んでいないのと同じく、

私の本能が危険な作品だとつげていた為に、

母の猛プッシュがあったにもかかわらず、

映画館に足を運ぶことはありませんでした。

 

そして、今日、私は、この作品をとうとう最後まで見てしまったのです。

物凄く危険な作品でした。

私の全部を否定し、肯定し、「生きろ」と言ってくる

戦い一つないのに、

生きること、死ぬこと、繋がっていくこと

これほど淡々と描きながら、

心をえぐられ、泣かされ、嗚咽しないといけない程まで

追い込まれてました。

 

ジブリ作品は、自然と人間を描くことにこだわっていますが、

ここに集大成があると感じる素晴らしい作品。

かぐや姫は、最後、地球での記憶を全て忘れ、

月に戻っていきます。

全てを忘れているのに、地球を振り返って、

かぐや姫は涙を流すのです。

 

私たちは生まれ、死んでいく。

死んで行く時に、きっと私はこの地球の美しさに涙すると思うのです。

美しさに涙を流しながら、

本当に自分はこの美しい中で、自分自身で生きたのかと

きっと振り返ると思うのです。

涙が流れないわけがないのです。

後悔が無いほどの人生を送ったとしても、

きっと後悔と愛しさがぐちゃぐちゃになってあると思うのです。

 

かぐや姫が赤ん坊の時に、

自然を見て、けたけた 笑うのです。

喜びがいっぱいで満たされると、人は けたけた 笑うのです。

その笑い声は、人も自然も浄化するような

素晴らしい音で、

かぐや姫が笑う度に、

お爺さんとお婆さんが、笑うのです。

 

かぐや姫の笑い声でなくても、

なんと人の笑い声とは、力のあるものか。

ただ喜びだけで笑う声の、力のあることよ。

 

人は自然の恵みの中だけで生きていけるのに、

もう少し豊かになりたい、幸せになりたいと思って

間違った努力をして、

自分が違う場所に立っていることがあります。

 

20代、豊かになりたくて、

人の持っているものが、自分も欲しくて頑張りました。

持ってみたけど、心は満たされるどころか、

もっと欲しいと思いました。

30代、持っていても仕方がないのだと気づいたけれど、

本当の豊かさを求めるのが怖くて、

周囲に合わせてました。

そして、今、私は本当の意味で豊かでありたいし、

穏やかで、笑える人生がいいなと思っています。

 

今のこの状態で見たので、すんなり話が入ってきますが、

あの働いていた時にみたら、

こんなの夢物語だと私は思ったでしょう。

自然の音を聞くこともなく、私はこの作品を否定したでしょう。

すごく美しい映画ですが、

すごく残酷な映画。

みる状態によっては全然違う気持ちになるような気がします。

 

高畑勲監督は、いつもすごく大変なものを

人の心に残していきますね。

素晴らしい作品と、一言では終われない、名作でした。

マザーテレサの「心の闇」について

マザーテレサの「心の闇」の問題について

シルバーバーチが好きな私は、このサイトをよく読むのですが、

そのサイトの中で気になったのが、

このマザーテレサの心の闇の問題についてのページです。

 

マザーは36歳の時に

「すべてを捨て、もっと貧しい人の間で働くように」と

啓示を受けています。

啓示を受けたということは、

神の存在を信じる以上に神を強く感じたはずです。

 

神を信じない人もいるでしょうが、

神を信じているものにとっては、啓示が与えられるということは

大きな喜びであろうし、

自分自身が選ばれた者だと思ってしまうのではと、

最高の承認が与えられたと、

これからの人生、何にも怖くないって思えるのではと

私は思っていました。

マザーは啓示を受けたからこそ、

あれだけの功績を残し、人を救うことが出来たのだと思っていました。

 

が、マザーの心の闇の問題についてを読むと、

たとえ啓示を受けていても、

人は自分自身に疑心暗鬼になり、

悩み、苦しんでいた様が分かります。

 

マザーの素晴らしさは、たとえ苦しんでいても、

彼女が行いをやめなかったことにあります。

私は苦しくなると止まってしまいますが、

マザーはその悩みを抱えたまま、

神と人の求めに応じて行動されたという事実は、

私や他の人への福音になるのでしょう。

 

自分の苦しみを抱えながらも、

理想に向かっていく姿は素晴らしいと思う反面、

弱い私は、それは心が疲れるなと思うのです。

心が疲れる原因は、自分の理想がはっきりしていないから

夢や希望を栄養にできないから、

疲れるのです。

目的がなくさせられる行動は、人を極度に疲れさせます。

 

私はマザーテレサが好きです。

マザーは啓示と自分自身の心が一致したから、

マザーになれたのでしょう。

私は、まだ自分自身への啓示を見つけられていませんが、

目標を決める為に、

行動し続け、

最終的に完全に心と一致する目標が見つかれば良いなと思っています。

退職した今は、家の中を平和にすることが私の仕事です。

(マザーが36歳で啓示を受けたのを知らなかったので、

 まだまだ私も大丈夫かなと思ってしまいました。)

 

 

乙嫁語りと焼きなすが最高なのです

今日は、一日読書タイム、

久々、漫画を読んでおりました。

乙嫁語りを読みました。

 

私は、この漫画の中に出てくる 裁縫が苦手な女の子が大好き。

人付き合いが下手なところとか見てると、

ぐっときます。

(性格が私に似ているので彼女が幸せになるのを祈っています。)

 

作者の緻密に書きこまれた民族衣装を見ていると

ページが全く進みません。

刺繍の施された服や布は、ひと針ひと針に魂が込められていて、

それ以上の何か別の雰囲気を持っているように感じます。

縫うという作業は、念を込める作業ですね。

それを絵に丁寧に描いて表現してある凄さ。

この作者の執念を感じる緻密な絵を見ていると、

漫画以上の何かを1ページ1ページに感じてしまいます。

 

大変な事件が起こる訳でもない漫画なのですが、

ゆったり流れる時の中、

いつも人間の心の中は同じだと感じます。

幸せはどこにあるのかを、

この漫画を読む人は自然に感じるのではないでしょうか。

 

さて、午後は漫画読むのに時間を費やしましたが、

夕方頃から、家族総出で、豚カツ作りをして、

ひたすら豚カツを上げていました。

今日は、焼きなす、キュウリの酢のもの、卵焼き、冷奴、豚カツでした。

 

最近のお気に入りは焼きなす。

我が家の家庭菜園はナスが取れ放題になってきているので、

頻繁に食卓にあがります。

取れたてナスは水分がいっぱいで、

焼くとナスの水分がじゅわっと凝縮され、

大根おろし・ネギ・鰹節を上にのせて、ポン酢をかけるだけで、

もう、それはそれは、物凄いご馳走になります。

スーパーで売っているナスは、

店頭に並ぶまでに2~3日費やしているので

どうしてもこの美味しさがでません。

時間が経っているので、ナスから水分抜けていくのです。

焼きなすを最高の状態で食べたいなら、

産直市場等でその日の朝に収穫したナスを購入することをお勧めします。

感動の美味しさですよ。

 

明日も、きっと、焼きなすを作る。

家族も、大好きで、毎日の食卓に上がってOKだそうです。

簡単で助かるし、食卓にのせた時の色合いが好きです。

夏は始まったばかり、しばらく、ナスで楽しみます。

サーティーワンアイスクリームと兄弟と両親

夏のアイスは1日1本まで、

母に言われていたというよりは、

兄弟が多い我が家の暗黙の了解。

 

誰かがひとつでも多く食べるなんて許されない。

アイスはご馳走。

兄弟の誰一人として、黙って食べるなんてことはなかった。

私の兄弟は、どんなお菓子も仲良く分ける。

取り合うことはしなかった。

最近、他の兄弟が、

「あれは姉がみんなに気配りしてたから

 分け合えてたよな。

 今、自分の子供育ててたら、全然分け合わないよ。

 観察して分かったけど、 ちゃんと姉が声かけして、

 みんなにいきわたるようにしてくれたんだと今思うよ」

と言っていた。

 

そうだな、本当にそうなのかもしれない。

いつも姉は、お菓子食べるよと声をかけてくれて、

みんなに公平にわたるようにしてくれていた。

それが普通だと思っていたけど、普通じゃないのか。

良い姉がいてよかった。

 

アイスといえば、サーティーワンアイスクリーム。

田舎の我が家は、遠くにお出かけしたときしか、食べられない。

私にとっては、お祭り気分で、非常に贅沢に感じる時間。

大きなアイスクリームひとつが、自分のもの。

あの豪華なワッフルの上に乗っているアイスクリーム。

ひとつ選ぶのに、いつも苦労してた。

でも、その時間が好きだった。

 

一生懸命考えて、ひとつ選んだら、

家族全員バス停に食べながら向かっていって、帰りのバスを待つ。

お互いのアイスクリームを一口交換しながら、

それにすればよかった、これは最高!っていいながら

食べてるそばから、次、またここにくる時は、

一体どの味を選ぼうか真剣に考える。

 

バスが来るころには、全部食べ終えて、

次はどれにする?と兄弟皆でワイワイしていた。

あの時の父と母の顔が思いだせないけれど、

きっと幸せそうに私たちを見てたんだろうな。

どうしてアイスクリーム食べることに集中せずに

あの時の両親の顔をみなかったんだろう。

きっと、見てたら、私はもっと幸せだったろうに。

 

でも、今、それを容易く想像できる。

私が子供を見ている眼差しときっと同じだ。

サーティーワンアイスクリームをみると、

あの暗いバス停の下で、

ワイワイガヤガヤ、にこにこしていた兄弟と

両親を思いだす。

美味しい以上の思い出。

 

今週のお題「私の好きなアイス」

毎日の掃除

毎日、掃除をするのは当たり前なのですが、

我が家の掃除は、毎日、仏壇と神棚の掃除から始まります。

 

神棚は、小さな小さな神棚です。

子供が小さかった頃に、家族旅行で名古屋に行った際に、

熱田神宮で、子供が買ってほしいといった神棚です。

子供が欲しいというまで、我が家には神棚がありませんでした。

 

あまりに小さな神棚だったので、

懇意にしている宮司さんに相談したところ、

「子供さんが選んだのだったら、それで良いのですよ。

 ちゃんとお祀りしてあげてください。

 わざわざ買い直す必要はないですよ」

と言ってくださったので、以来ずっと大事にお祀りしています。

 

神棚を掃除した後に、仏壇を掃除します。

仏壇は細かいものがおおいので、時間がかかりますが、

亡くなった子供の位牌を拭きながら、

ちゃんと生きないといけないなと毎日思いながら、

ちゃんと生きているのかな?いや、ちゃんと生きてるなと

自問自答する毎日です。

 

毎日、今日死ぬと思いながら生きていくことが出来れば

良いのですが、

この命が永遠に続いていくような気が毎日するから不思議です。

こうやって、目の前からいなくなってしまった人がいるのに、

それでも、命が有限だということを忘れてしまう。

人間は、なんて忘れやすいのか。

 

だから、毎日、掃除する。

思い出しても、次の瞬間忘れてしまう自分。

すぐに忘れてしまいたいぐらい、生きることも死ぬことも怖い。

怖いというより、ちゃんとできているかが心配なんだな。

命に終わりはあるけれど、霊魂に終わりがないから、

ちゃんとできているか心配で、できていないことが心配で

忘れたくて、忘れている。

心配するより、しようと思っていることをしたほうが

怖いことも、忘れることもないのにな。

毎日、少し進んで、少し後ろに進んで、

でも、少しずつ賢くなっていることには変わりない。