すずのうた

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野菜 近況報告

進撃の巨人を最新刊まで読了。

出てくる人物、どこかにいそうで、

誰もかれも憎めないです。

少しおかしい人もいますが、生育歴を考えると、

そうなるには理由があるので、どの人物も好きです。

性格が主人公エレンと非常に似ているので、

自分の危なさを再確認する漫画です。

 

9月に入って、いきなり気温が下がり、雨も降り始め、

枯れるかと思っていた茄子が、元気になり、

大きな実を再びつけてくれています。

10月ごろまで食べられたら、素晴らしくいいなと思って、

畑を眺めています。

 

今日は、夫が、唐突にぼそっと

「残暑でざんしょ。」とつぶやいたんです。

いつもは、夫のダジャレに笑わないんですが、

唐突に小さな声でぼそっと言うものだから、

ツボにはまって、けたけた笑って、笑いが止まらず。

こんな使い古されたダジャレを、恥ずかし気もなく、

よくぞいったなと思えば思うほど、笑えてきて、

一周回って、もしかしたら、すごく面白かったんじゃと錯覚するほど。

人を笑わせるには、声の出し方がものすごく大事なのですが、

今回の夫の言い方は、声といい、タイミングといい、

全てがぴったりはまっていて、

こんなつまらないことなのに、5分程、ずっと笑ってしまいました。

それで、元気がなかったのに、元気になってしまったから、

夫がいうように、ダジャレは家を明るくする効用が確かにあるようです。

やっぱり、夫は偉大だ。

 

偉大な夫の為に、リクエストの鳥の唐揚げは沢山揚げて、

今日は、久々、豪華な食事でした。

いつもは、肉1:野菜9の食事なのに、今日は肉9:野菜1の食事でした。

皆、よく食べてくれて、嬉しいです。

 

アリス・ミラーの著作を読んで

アリス・ミラーの本を何冊か斜め読みする。

アリス・ミラーは、幼少期の虐待がその後に与える影響を研究しくれた人です。

読むのは、本当に辛い。

 

児童虐待が駄目だと認識されだしたのは、本当にここ100年の話。

そう考えると、虐待されずに育ってきた人はほとんどいない。

虐待が駄目だと言われているのに、

虐待された自分が、自分の子供を虐待する。

どうしてこの負のループが消えないのだろう?という疑問は、

アリス・ミラーの著作で解消はされました。

 

大人は、虐待が駄目なことだと認識した瞬間に、

自分の子供時代と、自分が自分の子供にしていることに

絶望してしまう。

虐待を知ることは、自分の不完全さと残虐さを知る行為だからこそ、

人は虐待に向きあわずに、「ああ、可哀想ね」という言葉で素通りしてしまう。

 

Youtubeで「虐待」というワードを出すと、広告が付きにくいと

Youtubuチャンネルである一月万冊の清水さんがおっしゃっていたが、

忘れていたい人にとって、「虐待」というキーワードは、

危険な言葉でしかない。

 

アリス・ミラーは、「虐待」についての周りの反応を著作の中で書いているが、

今も現状は同じのようだ。

「虐待」について語るのではなく、

「虐待」を語らないこと、「忘れること」で

「虐待」を失くすことができると、今も多くの人が信じているらしい。

 

忘れたふりをしていても、

幼少期に受けた傷は、大人の自分を支配していて、

世間が望まない行動・自分が望まない行動を取りやすくなる。

虐待を忘れると、自分の幸せからどんどん離れていく。

 

自分の幼少期を思いだして、色々繰り返す出来事をみていると、

私は私を癒していないなと思う。

傷つけることは上手になっていくけれど、

優しくすることは学ばなかったし、受け取らなかった。

 

私は、暴力は受けていない。

暴力はなかったけれど、

私の好きな物を望めない環境で育っていて、

好きなものを望まなくなった。

 

暴力によって感情を抑えるのと同じく、

自分の好きな物を取り上げられると、自分の感情を抑えるようになる。

子育てが始まって、自分の子供時代を思いだすからこそ、

過保護に育てた自分の親とは違って、

ちょうどよい関わり方をして育てようと思うけれど、

過保護の反対は無関心だから、ちょうどよい子育てが私にはよく分からない。

 

悪戦苦闘しながら、子育てしていて、

多分、正解の子育てはできてないだろう。

どれだけの家族が、この正解でない子育てをして、

修正できずに、苦しんだり、無関心でいたりするんだろうか。

だからこそ、

自分が辛かったことや、苦しかったことを話していかないといけない。

子育てで親がつまづくところは、自分が小さかった頃の記憶にあるから。

 

虐待を話すと、そうしないようにどうすればよいか、

皆が考えるようになる。

同じ苦しみをおった人が、次にそれを伝えれば、

共感を得て、自分を許すようになってくる。

きっと、そうなるんじゃないかなと思っている。

子供時代に買えなかったものが・・・

進撃の巨人をまとめ買いするんだと考えて、早3日。

まだ買えずにいてます。

私は、考えて、考えて、考えて、いつも買えずに時が過ぎます。

 

小さな頃、家は貧しいんだなと理解して以来、

私は自分が欲しいものは、想像の中で楽しむだけにして、

買ってほしいということはありませんでした。

おまけがついているお菓子なんて、私は手に持ったこともない。

だって、手に持ったら、親は欲しい?って聞くでしょう、

無駄なお金、買わなくて済むものを、

お金に苦労している親に、

さらに使わせてはダメだと

本当に小さな頃から思っていました。

 

大人になっても、この習性を引きずっていて、

「私が欲しいものは、買う必要のないもの、

買うべきものだけ、買うこと」

という不文律が私の中に存在します。

大人になって、稼いでいるのに、買っても問題無いのに、

私はお金を使うことがうまくできない。

 

お金を適切に使えるようになりたいのです。

罪悪感なくお金が使えたらいいなと思います。

自分の好きな物を我慢して、お金を貯めて、

一体そのお金は誰の為に残してあるのでしょう?

老後の為?子どもの為?

使わないと決めているから、誰の為にも使えない。

 

自分の喜びの為にお金を使うことを、

罪悪感なくできたらいいな。

貧しい家で育ったからこそ、

金銭感覚が非常に厳しくなったから、良い面もあるのです。

が、使えないというこの負の面が大きすぎる。

 

世の中の節約術を見ても、そんなの当たり前すぎると思う私です。

我慢なんていくらでも出来ますが、

我慢を解いて、自分にお金を使うことを許すのがとても難しい。

これは、自己否定の一種なのです。

はじめは親の為にと思って我慢していたのに、

いつのまにか私の生きづらさに変わってしまった。

人間、どこで間違えてしまうのでしょう。

 

何事も、やりすぎはダメ。我慢しすぎはダメ。

大好きなものを大好きと言える環境が本当に大事。

誰かに遠慮して、大好きだって言えなくなると、

心が固まって動かなくなって、好きな物がわからなくなってくる。

 

だからこそ、自分の子供には、

好きな物を好きだって普通に語れる環境をと思って

心を砕いているけれど、正解なんてないから、悩んでウロウロする。

でも、子供の元気な声を聞くと、大丈夫か!と安心する。

子供が元気だと、私も元気になって、

自分の好きなものを大事にしようとまた思い直す。

子供は、私にいっぱいくれているんだなと思う。

子育ては、自分が育ててほしかったように育てる時間。

私を育てなおす時間。

夫の危機管理能力

ネトフリで、進撃の巨人のアニメを見て以来、

リヴァイ兵長神谷浩史氏の声に惚れ込んでいますが、

斎木楠生の災難の斎木楠雄の役も絶品だったので、

その時に心鷲掴みにされたかな?と、

彼の経歴調べていたら、

Fate間桐慎二役もそうだったのか!と。

初めてFate作品をプレイした時に、

慎二の声に???と違和感をもっていたので、その時から、

私にとっては頭にひっかかる聞きたくなる声だったんだなと自己解決しました。

うん、すっきりです。

 

話は変わって、もしもの備え。

家には防災セットと、

水が万が一なくなった時に汚水をろ過して飲み水にできるものを

購入してあります。

上記を購入したのは、私ではなく夫。

 

夫は、色々考えて、常日頃から危機に備えて準備しているのです。

私なんかよりも、夫はずっと先を見通す力があるので、

未来は任せた、私は今を生きるぜって、

なってるわけです。

 

それでは、夫がいなければ、私はもしもの備えを行うのでしょうか?

いや、私の備えは、きっとイメージトレーニングだけで、

実際にものを用意するというところまで、おそらくいかないでしょう。

備えの為に、お金を使うのもったいないという、

本当に反省しないといけない思考をもった私がいます。

夫は、先に投資する能力に長けています。

 

非常事態宣言が出たときも、

夫は水やらトイレットペーパーを常に余裕をもたせて買う人だったので、

全く困りませんでした。

私は、よく、「こんなに買ってもったないない!」とお説教していましたが、

夫は静かに怒られながらも、ずっと購入してました。

結局は、夫が正しかったです。

(こんなに買ってといいますが、ちゃんと備蓄スペースに入るぐらいしか

 購入してません。夫は考えて、購入している!とこのとき理解した私です)

 

私は、危機管理能力が欠如しているようなので、

得意な夫におんぶにだっこしてもらっています。

それではいけない、私も進歩しなきゃと思いますが、

結婚したころに比べると、夫の考え方を理解して、

怒らなくなった上に、むしろすごいなと尊敬できるようになっています。

私も危機に備える為に、夫に協力できるようになってきているから

ちょっとは進歩しているのです。

夫も、昔よりはましだと言うので、きっと大丈夫!

 

ここから、さらなる飛躍をしようと思うと、

自分のキャパシティを越えてしまう気もしますが、

とにかく、私にない能力を夫がもっているので、

良いところを側で吸収していきたいなと思っています。

 

今週のお題「もしもの備え」

 

 

 

 

 

 

ポテトサラダを作りながら

今日は、ことこと、ことこと、

小さな小さなジャガイモを沢山、鍋で煮る。

ついでに、一緒に、卵も2ついれて。

 

今年はジャガイモの出来が悪くて、

大きなものはすでに使いきってしまった。

残った小さなジャガイモ達。

そのまま、たっぷりの油で炒めて、

醤油と砂糖で味付けしても美味しいけれど、

最近の私のお気に入りは、ことこと、ジャガイモ茹でて、

茹でたジャガイモの皮を熱い熱いといいながら剥いて、

ポテトサラダにすること。

 

ジャガイモを茹でている間に、キュウリを薄く輪切りにして、

塩して、しばらく置いて、水を切る為に、ぎゅっと握った。

 

ぎゅっと握ったと同時に、これが愛の形だと知った。

水気がポテトサラダに混じらないように、美味しくなるように

ぎゅっと握っただけだったのに、

愛は簡単なところにあるんだと、脳の中で、色んな情景が瞬時に浮かんだ。

 

台所の窓から見える空も、

今日出会った見知らぬ人の赤ちゃんも、

目を合わせて、にっこり笑ったあの瞬間も、

台風が来るなら、物干し棹もいれておかなくっちゃと考えている私も、

一生懸命、今日あったことを伝えようとしている子供も、

 

ただ、あるだけで、愛なんだとと一瞬で感じたのだった。

 

手の中に握られたキュウリの感触を確かめながら、

この一瞬が永遠には続かないことを残念に思って、

もう一度、先ほど自分の中で起こった出来事を反芻する。

 

どれだけ、この今を覚えてられるのだろう?

また、明日になれば忘れて、私はどうしようもないことで悩む。

悩むだろうけれど、今日一瞬感じたことは、

またこれから先の瞬間にもやってくるはずなのだ。

その瞬間がつもりつもって、いつかちゃんと愛を理解できたらいい。

今は、まだ今日感じたふわふわした感じが身体に残っている。

それは、とても良いもので、穏やかで、幸せだった。

今日も読書してます

今日の夫のダジャレ。

きっと、どの家の夫も言っているようなダジャレばかりだと思う。

胡麻だけに、ごまかされないぞ!」

「二階だけに、二回行かないとね!」

今日も子供に、「点数にしたら2点ぐらいだね」と言われていました。

私は、胡麻は不覚にも笑ってしまいました。

夫は、ダジャレはコミュニケーションの一環だから、

受ける受けないは関係ないといつも言っています。

ダジャレを言うことに意義があるのだと。

確かに、我が家は、夫のこのダジャレのおかげで、明るいです。

有難い。

 

さて、今日は、安冨歩先生の「あなたが生きづらいのは「自己嫌悪」のせいである。 他人に支配されず、自由に生きる技術」 を読書。

これは、私が読むには、ちょっと遅かったと後悔。

3年ほど前に読んでいれば、

セミナーなどの不必要なお金を使う必要は無かったと思います。

 

「自己嫌悪」や「自己否定」から抜け出す方法は

人それぞれ、色々あるんじゃないかなと思います。

安冨先生には安冨先生の取り組み方があって、

この取り組み方や考え方がぴったりな人は、神様のような本ではないでしょうか。

たとえ合わなくても、沢山のヒントを与えてくれる本です。

 

ただし、安冨先生の本を読んでも、

結局は、自分で感じないと意味がない。

自分の内で「自分が好きだな」って感じないと、

言葉だけが上滑りしていく。

 

この言葉だけが上滑りしていくことを何度も何度も繰り返して、

あれ、まだ違うの?まだ自分が嫌いなの?

え?何故?どうして?

を考えたり、見続けていると、

ある日、はっと、あ、あれが原因かと分かるときがあります。

 

今日は、安冨先生の本と、アリス・ミラーの本も一緒に読んでいたら、

はっと、自分の人生の中で何度も同じことを繰り返している法則をひとつ見つけて、

うわーと心の中で叫んでいました。

 

こうやって、家族と暮らしたり、本を読んだり、仕事をする中で、

育てられた家族や社会から与えられた不必要なものを

自分でひとつひとつ整理していくのです。

この整理する作業は、子供の時にはできないのです。

大人になってからしか出来ない。

大人になってよかったことの一つ。

自分をちゃんと知ることができること。

 

整理している間の体験が、他の人の役に立ったり、

他の人を理解する力を与えてくれたりする。

整理するものが多い人は、それだけ、他の人の役に立つことができる人でしょう。

整理するまでが大変ですが。

 

今日もひとつ片づけられてよかったです。

明日は、アリス・ミラーの本を3冊ほど読めたらいいなと思っています。

 

今週のお題「読書感想文」

母の驚く交友関係

夫は、ダジャレをしばしば言います。

私と子供は冷ややかな目で見ては、二人で夫への結束を強めているのですが、

本日、私の心に残った夫のダジャレは、

「今日は麻婆丼かー。どんどん食べないとね!」でした。

 

このダジャレに、表情筋ひとつ動かさず

「早く、ご飯をよそってね」と能面のような顔をしていましたが、

私や子供がそんな顔になるのは、我が家ではお約束なので、

誰も困りません。

夫は、面白かったのになーと、ダジャレを言えたことに満足しており、

家族円満です。

たまには、面白いのもありますよ、いや、多分、あるはず・・・。

 

さて、最近、驚いたのは、

実家の母が、

私が尊敬しているジャーナリストと何故かLINEを交換していたことが判明し、

え、え、え、紹介してくれ、母よと心の底から思いました。

 

母は、コミュニケーションおばけで、

誰彼かまわず、ぐいぐいいく。

趣味に没頭しては、色々なところに出没し、色々なところで友達を作っては、

おごってもらっていたりする。

(母は、年金わずかで暮らしているので、周りの人が察してくれてる。)

母は、その昔、大好きな俳優のおっかけをして、

最終、お茶する仲までいってしまう、

本当に世間が羨むスキルの持ち主。

 

そんな母なのですが、どこでその人と知り合ったーーー!って聞いたら、

色々顔だしすぎていて分からないとのたまう。

足がだんだん不自由になってきているのに、

持ち前のバイタリティーで、行きたいライブにいき、美術館に行き、芝居を見に行く。

他の生活は全て捨てて、文化芸術を愛する母は、家はボロボロだけれど、

幸せそうなのです。

 

母とお茶して、最近いったライブの話を聞いたり、

(コロナのことなんかちっとも怖がらず、

 見に行かないと死んだら後悔する!とおっしゃっているので、

 もう娘の私は、諦めの境地です。)

大好きな歌手が困っていて助けてあげたいなーと憂いていたりしました。

 

母のこういう自分の好きを全面に出して生きている姿は嫌いじゃない。

いや、むしろ、羨ましい。

私は、家で色々気を使って暮らしていた子供時代があるから、

自分の好きがわからなくなっているところがある。

 

自分の好きが分かるのっていいな。

他人に忖度して生きている時間が長かった私は、

ちょっとまだ自分がよく分からないなと思っている。

でも、母を見ていると、好きが分かったら、

楽しんだなということを知っている。

羨ましいけれど、私は母ではないから、

他の楽しみ方で、私は生きていこうと、母と久々話して思うのだった。